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アメリカ人墓地物語

ルクセンブルクに、第二次世界大戦で亡くなった米軍兵士を埋葬した墓地があるのをご存知ですか。空港近くのルクセンブルク市ハム地区に位置して、離陸時の機内窓や、ドイツに向かう列車の車窓からも見ることができます。長年、住んでいて訪問する機会がなかったのですが、1944年12月から開始されたドイツ軍の最後の攻勢が1945年1月13日に終わて75年が経ったの機に訪問しました。米軍墓地は、すでにフランスのノルマンディー地方で訪問したことがあり、2か所目になりました。1か所目は、1944年のノルマンディー上陸作戦で戦死した兵士を埋葬したのに対して、ルクセンブルクでは、1944年12月のバルジ作戦で戦死した兵士を主に埋葬しています。5千を超える白い墓標が整然と広い敷地に並べられています。キリスト教徒は十字架、ユダヤ教徒はダビデ星型です。墓地入口の訪問者センターでは、英独仏蘭西中の6か国語の無料案内パンフレットが置かれていました。中国語があるのが意外でしたが、中国人の訪問者が多いためでしょうか。残念ながら日本語はありませんでした。日本人で訪れる人はまれなんでしょう。この墓地には、第二次世界大戦の欧州戦線で活躍した米軍のパットン将軍の墓があることで、世界的に知られており、戦後、のちに大統領となるアイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官も墓参に訪れています。パットン将軍は、戦後1945年12月21日にドイツで自動車事故が原因で亡くなり、故人の遺志と妻の希望により、多くの部下が眠るルクセンブルクに埋葬されました。もう一つ、この墓地では、ただ一人の女性として、従軍看護師が葬られいることで知られています。米国メリーランド出身のナンシー・レオさんで、1945年8月15日にパリ近郊で自動車事故により、パリの病院に搬送途中で24歳の人生を終えました。パリでいったん埋葬されたのち、ともにフランス、ベルギー解放で戦った仲間の眠るルクセンブルクに移されています。くしくもパットン将軍、ナンシーさん共に戦後、自動車事故で、同乗者が助かったのにも関わらず、不運にも首や頭を打ったのが致命傷で亡くなっています。