people

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔(20)ケヴィン・ザレスキさん (Mr. Kevin Zaleski) ― 前編 

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第20回:ケヴィン・ザレスキさん (Mr. Kevin Zaleski) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回は、国費留学生として上智大学大学院でドキュメンタリー映画について研究しているケヴィン・ザレスキさんにご登場いただきます。博士論文の執筆の傍ら、ルクセンブルク大使館でのお仕事や通訳業務など、多忙な日々を過ごすケヴィンさん。今回は、そもそもの日本との縁のなれそめを中心にお話を伺っていきます。

事務局(以下、Q):こんにちは、はじめまして。
ケヴィン(以下、K):こんにちは。今日はよろしくお願いします。
Q:こちらこそ。まずは自己紹介をお願いします。
K :はい。ケヴィン・ザレスキです。ドイツ生まれで、ルクセンブルク国籍です。国費留学生として上智大学大学院の博士課程に在籍しています。
Q:ルクセンブルク政府から?
K:いえ、文部科学省の。
Q:今、まさに博士論文の執筆中とお伺いしたのですが、どんなテーマなのですか?
K:はい、3.11(東日本大震災)とフクシマに焦点をあて、ドキュメンタリー映画について論じています。ドキュメンタリー映画が観客に与える影響について、それからドキュメンタリーとトラウマの関連性についても考察しています。
Q:準備はさぞ大変でしょうね。
K:色々な資料を参考にしています。東北映画祭のフィルム・アーカイブとか。論文プロポーザルの締め切りが6月中、ディフェンスが7月中というスケジュールで、論文自体の執筆・提出は2018年の秋ですが。
Q:ご研究のことは、後ほど、じっくりお伺いさせていただくとして、まずはケヴィンさんと日本のかかわりを教えていただけますか?
K:はい。その前に僕とルクセンブルクの関係もちょっとお話しますね。先ほど、ドイツ生まれでルクセンブルク国籍と言いましたが、ルクセンブルクに引っ越したのは、僕が10歳の頃で、ルクセンブルクの国籍を取得したのは大学生になってからです。
Q:あ、そうなのですか?
K:家族でルクセンブルクに住んでいましたが、バカロレアはドイツの高校で取得して、大学もドイツ。トリアというドイツ最古の街にある大学です。
Q:では、トリアに下宿して?
K:いえ、ルクセンブルクから通いました。トリアはルクセンブルク近隣にありまして、昔からルクセンブルクとの交流もとても活発なのです。近年は特にトリアや他のドイツの街にルクセンブルク人が住むことが増えていますね。ルクセンブルクよりも物価が安いというメリットがあるので。
Q:なるほど。
K:初めは大学で心理学を専攻しようかな、と思っていたのですが、ちょっと違うな、と感じまして、言語を取得しようと思いました。それで前から気になっていた日本を選んで、Japanology(ジャパノロジー)を学ぶために日本学科に入りました。素晴らしい先生にも出会え、日本への興味がさらに強まりました。日本人の先生で、日本語だけでなく、日本の文化も教えてくれた。例えば「無礼講」とか「飲ミュニケーション」という言葉を覚えたのもこの頃ですけれど、その背景もきちんと教えてくれました。授業にウィットがあって。試験用紙を提出するでしょう。そうすると、ドラエモンの「大変よくできました」スタンプが押されて帰ってくる。
Q:あ、小学校の低学年のテスト採点の定番グッズ!私が子供の頃は桜の花びらの形のスタンプでしたけれど。(笑)
K:そうです(笑)。そして日本はとってもスタンプ、つまり印鑑が大切なんだよ、と。当時は「本当かな」と半信半疑でしたが、後に日本企業に勤めた時に、「あ、本当だ!」と(笑)。僕が初めて日本を訪れたのは2006年です。
Q:観光ですか?
K:いえ、大学の授業の一環です。2週間のスタディ・ツアーで仙台と東京を訪問しました。その後、2008年に上智大学に交換留学生として1年間留学しました。ルクセンブルク国籍を取得したのは、この頃です。
Q:何かきっかけがあったのですか?
K:そうですね。僕が10歳の頃から、家族全員がルクセンブルクで暮らしていましたし、アイデンティティを考える時、僕のなかではルクセンブルクが強かった。姉がルクセンブルクの人と結婚したこともありまして、どうしようかな、と考え続けていました。当時、上智大学にはオロリッシュ神父様、今はルクセンブルク大司教におなりですが、がいらっしゃって、神父様の勧めもあって決心しました。
Q: では、日本に留学していた時に決心した。
K: そうです。大学2年生でしたから、20歳で決心したことになりますね。
Q: ケヴィンさんの日本語は非常に流暢ですけれど、以来、ずっと日本で暮らされているのですか?
K:いいえ。1年間の交換留学の後は、帰国し、ドイツの大学の大学院に進みました。そして大学院生だった時に、ルクセンブルクの日本企業で働く機会をいただきました。
Q:どちらの?差支えなければ、ですが。
K:三菱UFJグローバル・カストディです。皆川社長に非常にお世話になりました。修士論文を書きつつ、研修生として勤務させていただいて、その後、修士号を取得して正社員となりました。皆川社長は、(文科省の)留学試験の際に推薦状も書いてくださいました。本当に良くして頂きました。職場はマルチナショナルな環境でしたので、言葉を訳するだけではなく、あの言葉の裏にはこういう意味がある、とか、この言い回しのニュアンスは、とか文化を通訳する機会が多かったですね。
Q:そうですね、「行間を読む」という言葉がありますが、コミュニケーションを図る上で相手の文化を知っているのといないのでは、大きな違いがでてきますよね。ちょっとしたボタンの掛け違い、勘違いで、あらぬ誤解が生じたりする・・・。
K:ルクセンブルクの人間は、総じて、非常にフランクです。ある時、職場でルクセンブルク人同士がルクセンブルク語で話しているのを聞いていた日本人の同僚が僕に心配そうな小声できくのです「ケヴィン、あの人たち、喧嘩しているの?大丈夫?」って。彼らはただ普通に話していただけなんですけれど・・・。
Q:あはは。反対に日本人が普通と思っている事柄がルクセンブルクの人達にとっては魔訶不思議だったりもしますよね。ケヴィンさんは、職場でのカルチャーショックはありませんでしたか?
K:それは、正直、ありました。会議のやり方とか、回覧文化とか。日本企業の気づかいを大切にする企業文化は良いことだと思いますが、効率は少々損なわれるかなと。それから、先ほどの「印鑑」の話ですけれど、日本ではごく普通にいろいろな書面に捺印しますよね。でも、例えば、社内でとても仲良くなった人たち間の約束に捺印を要求されたら、ルクセンブルクでは傷つく人もいます。つまり、私たちは単なる同僚というより友達同士なのだから言葉だけで十分ではないのか、と。印鑑は責任にかかわるシンボルですから、それをどう使うかで、関係にひびが入ってしまうリスクがあるのですね。
Q:ああ、そういう風に捉えることもできますね。私など、余り深く考えもせずにハンコを押してしまうタチなので、今まで気づきもしませんでした・・・(以下、次号)
***

言葉だけでなく、言葉の背後にある文化的な側面を含めて、物事を伝える点を大切にしているケヴィンさん。理路整然とした話しぶりと柔らかな物腰、そして実直な態度を見ていると、ケヴィンさんが日本の企業風土の中で活躍し、重用された理由がわかる気がしました。次回は博士論文のテーマであるドキュメンタリーのお話やルクセンブルク人の気質やアイデンティティについてお話を伺っていく予定です。             (文責:事務局)

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 第24回:今野有子さん (Ms. Yuko Konno) ― 後編