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「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 (11) 

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第9回: キャサリン・ハヤルさん (Ms. Catherine Heyart) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回、登場いただくのは、日本のアパレル・メーカーでデザイナーとし働いているキャサリン・ハヤルさん。第5回、6回の当コラムでお話を伺った慶応大学の大学院に在学中のジュリー・ハヤルさんの妹さんです。

事務局(以下、Q):こんにちは!やっぱり、お姉さんのジュリーさんに似てらっしゃいますね!まずは自己紹介をお願いします。
キャサリン(以下、C):こんにちは。姉に似ていますか?(笑)キャサリン・ハヤルです。年は27歳で、都内のアパレル・メーカーで働いています。
Q:デザイナーさんですよね?
C:はい、そうです。でも、今の会社は小さな会社なので、デザインだけでなく色々な仕事もしていますよ。とても良い経験。すごく勉強になります。
Q:今の会社?ということは転職をしたのですか?
C: はい、今年。その前は社員数が500人位の中堅どころのアパレル・メーカーに勤めていました。
Q:アパレルで500名規模は大きいと思いますよ。
C:そうかもしれませんね。業界ではかなり名が通った会社で、まさしく「日本企業」(笑)。
Q:では、朝礼とかも?
C:はい、もちろん。
Q:かなりのカルチャー・ショックがあったのでは?
C:正直に言うと、結構ありました(笑)。
Q:やっぱり(笑)。日本人でも学生から社会人になった時は生活が一変するから。「5月病」なんて言葉もあるくらいですものね。お仕事の話は後ほどじっくり伺うとして、何故、日本に?
C:きっかけは、姉が日本に留学したことでしょうね。そのことがなければ、私は今、日本に住んでいないかも(笑)。姉を通じて、日本という国に興味を持ちました。
Q: お姉さんのジュリーさんは、始め藤沢でホームスティをして、それから1年間、日本に留学したのでしたね
C:はい、浜松に。姉が留学している時に訪ねてみたかったのですが、留学中に家族が訪ねるのは禁止されていたので、姉が帰国してから一緒に日本に行きました。私が高校生の時です。それが初来日。観光旅行でしたが、姉がお世話になった浜松のホストファミリーの所に1週間滞在して、日本の人達の生活を体験できました。あとは広島や東京にも行きました。日本の印象がとても良かったので、また来たいな、と。
Q:なるほど。
C:もっとしっかり、長い期間にわたって滞在したいな、と思いました。
Q:それで日本に留学した?
C:はい。実は日本に留学する前にも3か月くらい日本に住んだことがあります。
Q:というと?
C:その頃は進路についてかなり真剣に考えていた時期でした。ファッションデザインだけでなく、建築やインダストリアル・デザインにも興味がありましたし、高校を卒業して進学する前に色々な経験をしたかったので、高校時代に建築事務所でインターンをしたりもしました。高校時代は本当に試行錯誤。日本でも暮らしてみたかったし。それで高校卒業後、すぐ大学には行かずにオペア(Au Pair)のプログラムを利用して3か月くらい日本で暮らしました。
Q:オペア?
C:個人のご家庭にホームスティして、そこのご家庭のお子さんの面倒をみる、というプログラムです。渡航費は先方持ちですし、「住み込み」なので食費や部屋代はかかりません。オペアのマッチング・サイトで受け入れてくれるご家族を探しました。エージェントを利用する方法もあるようですが、私の場合は先方とのやりとりは全て自分で行いました。オペアのプログラムが終わった後、ルクセンブルクに戻って、大学入学のためのインタビューとか手続きをして、それからまた日本に戻って、6か月間、日本語学校に通いました。それまでは日本語は「自習」だけだったので、もう少し系統だって日本語を学ぶ必要性を感じていました。
Q:わ、すごい行動力!受け入れ先のご家庭は随分と先進的ですね。オペアは日本ではまだ馴染みのないプログラムだと思いますし、一般的に言って、ベビー・シッターさんや家事や介護のお手伝いをする方を「家にあげるのはちょっと・・・」と躊躇するご家庭が日本には多いでしょう?
C:日本で暮らしているニュージーランド人のファミリーでした(笑)。残念ながら、日本のファミリーは見つからなかった。
Q:でしょうね(笑)。ニュージーランドのファミリーだったら食生活で「わ、これは食べられない」という日本食は出なかった?
C:お肉中心に食生活で、私には逆にヘビーすぎました(笑)。日本食、好きなのです。ルクセンブルクにいた時も手に入る材料で日本食を作って食べたりしていました。
Q:特に好きな和食は?
C:お魚ですね。刺身も焼き魚も大好きです。幕の内のように少量で色々多彩なおかずがあるのも、すごく素敵だと思います。欧米の食事はドン、とボリューミーでしょう?あれこれちょっとだけ食べる、ということは難しい。それからシェアする、という文化も欧米とは違いますね。
Q:ああ、そうですね。各自のお皿に一人分。シェアする、オーダーした料理を、ちょっと取り換えて食べてみる、ということは欧米の方はしないようですね。ポーションも多いですしね。私は日本人としては大食いの方だとおもいますが、アメリカやヨーロッパのレストランでの食事が食べきれなかったことが多々あります。「出された物は残さず食べる」と躾けられた身としては罪悪感でいっぱいになります(笑)。逆に苦手な日本食はありますか?
C:欧米風の日本食はあまり得意ではありません。ハンバーグとかオムライスとか。甘いケチャップがついていたりする・・・。
Q:ああ、ケチャップは確かに甘いですね。
C:日本風のパン、調理パンというのですか?柔らかくて白くて、少し甘くて、中にお惣菜のようなものとか、あんこやクリームが入っていたりする・・・正直、違和感があります。私が育った環境でのパン、バケットとはあまりにも違うから。あくまで私個人の意見ですけれど。
Q:食べ物は個人の嗜好で判断するのが一番です(笑)。さて、オペア・プログラムを活用して日本滞在も経験した後、進学されたのですね。
C:はい、ベルリンのエスモード(ESMOD)に進みました。ファッションデザインの学校で、世界各国にあります。もちろん日本にも。留学のプログラムが整っていて、私は2年生の時に日本に留学しました。それが2011年。以来、日本に住んでいます。
Q:え、2011年?何月ですか?
C:5月です。
Q:ああ、では東日本大震災は経験していない?
C:地震は経験しませんでした。本当はその年の3月に来日する予定だったのです。予約していたフライトは3月中旬、ちょうど地震の1週間後の日付だったのですが、キャンセルになりました。それで来日が5月に延びました。
Q:日本に行くことを反対されませんでしたか?
C:もう、大反対(笑)。とても心配されて、行ってはダメだと言われました。でも、この時に行かないと自分で色々準備してきたことが無駄になってしまうし、留学を1年先に延ばすのは嫌だったので、必死でお願いして許可してもらいました。
Q:そうですか。キャサリンさんも凄いけれど、許してくれたご両親も凄いですね。当時は日本に住んでいた方々も帰国してしまうような状況でしたから。ファッションデザインの学校で勉強されて、そのまま日本で就職したのですか?
C:はい、そうです。3年制の学校で、私は2年生、3年生は日本で勉強して卒業しました。卒業前に、普通に就職活動して。 幸い、学校には色々なメーカーから求人がきましたので。
Q:日本人の学生さんと一緒に?
C:ええ。求人の募集が学校に来るってありがたいですよ。
Q:うわー。キャサリンさんは、今、さらっと「普通に」と言われたけれど、ものすごく高いハードルだと思いますよ。・・・(以下、次号)

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キャサリンさんの日本とのかかわりは、お姉さんのジュリーさんの日本留学がきっかけとのことですが、今ではお姉さん以上に日本での生活が長くなったキャサリンさん。穏やかでキュートな彼女、日本の生活にしっかりと溶け込んでいるのはさすがです。次回は日本での仕事や職場環境について、キャサリンさんが感じた日本の印象や日本人の特性についてもう少し詳しくお話を伺っていく予定です。どうぞお楽しみに!  (文責:事務局)