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「人」コラム (19)  ‐ ルクセンブルクの横顔 ハービー山口さん (前編)

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第19回: ハービー山口さん (Mr. Herbie Yamaguchi) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回は、ルクセンブルク撮影旅行から戻られたばかりの写真家、ハービー山口さんのお話を伺います。ハービーさんは1999年にルクセンブルク大使館の依頼で写真集「Timeless in Luxemburg」(ルクセンブルク大使館発行。残念ながら非売品)を撮影、今回のルクセンブルク再訪はルクセンブルクと日本の外交関係樹立90周年を記念して、今年11月に発売予定の「Timeless in Luxemburg」第2弾のためです。写真、そしてハービーさんとルクセンブルクとのかかわりについて色々とお話くださいました。

事務局(以下、Q):こんにちは!ご多忙の中、インタビューに時間をとっていただいて本当にありがとうございます。ハービーさんは写真家として超有名な方ですが、このコラムは自己紹介から始まりますので、自己紹介をお願いします。
ハービー(以下、H):こんにちは。ハービー山口、写真家です。ハービーという名前は、僕の大好きなジャズ・フルート奏者のハービー・マン(Herbie Mann)からで。当時、20歳でしたが、僕はバンド活動をしていて仲間内でニックネームをつけようとなりまして。それが、ハービーを名乗るきっかけです。以来、このハービーという名前をずっと使っているのですが、その訳をちょっとお話すると、僕は生後2か月で腰椎カリエスにかかり、10代の半ばまでコルセットをしての生活を強いられました。体育の授業は一度も受けたことがない、友達もいない、孤独と絶望の毎日でした。20歳になってお医者様から「重いものを持つとか、無理をしなければ、もう普通に生活できますよ」と告げられて、やっと希望が芽生えたのです。それで、これからはポジティブな人生を生きよう、と。本名はもちろん、ありますけれど、辛かった思いをリセットして新しい人生を生きる。その気持ちをハービーという名前に込めました。
Q:そういう深い思いのあるお名前なのですね。ルクセンブルクとの関係はいつからですか?イギリスで生活されていた時から?ボーイ・ジョージ(Boy George、カルチャー・クラブのヴォーカリスト)と一緒に暮らされていた・・・。
H :23歳から約10年間、ロンドンで暮らしていましたが、その時にはルクセンブルクとのご縁はありませんでした。イギリス時代は、今、仰られたように、無名だったボーイ・ジョージと一時期、一緒に住んだり、ルームメートというのではなく、ハウスシェアというか、お互い居候だったのですけれど(笑)、役者をやったり、写真の修行をしたり、色々な人と出会って、ヨーロッパの国々も結構あちこちに行きましたが、ルクセンブルクには行った事はありませんでした。ルクセンブルクとのご縁は1999年からです。
Q:きっかけはどのような?
H:当時のグラメーニヤ大使、今はルクセンブルクの財務大臣をされておられますが、大使の発案がきっかけです。1999年に先代のルクセンブルク大公ご夫妻が国賓で来日されました。その大公ご夫妻の訪日プログラムの一環として、日本の写真家をルクセンブルクに招聘して、その写真家がルクセンブルクで撮った写真を披露する写真展を開催し、大公ご夫妻にご訪問していただこう、写真集も発行しようと。写真集のタイトル「Timeless in Luxemburg」もグラメーニヤ大使が名付け親です。
Q:なるほど。ハービーさんに白羽の矢があたった、という訳ですね。
H:グラメーニヤ大使から相談された、写真プロデューサーの倉持五郎さんが「ハービーだったら、英語も、まあ、ソコソコ話せるし、一人で撮影することもできるし、適任だろう」と、僕を推薦してくれまして、初めてグラメーニヤ大使にお目にかかりました。ルクセンブルクで何を取りたいか?という話になった時に、「ルクセンブルクはとてもきれいな国と伺っている。景色もそうだけれど、かの地で生きる人々の素顔、彼らの生きる様、を撮りたい」とお話したことを覚えています。今まで行ったことのなかったルクセンブルクという国に興味がわきました。
Q:そうすると、初めてルクセンブルクに行かれたのは?
H:1999年の1月。10日ほど滞在しました。
Q:寒かったでしょう?
H:はい。でも、観光客が少ない時期というのは、別の見方をすると住んでいる人達の素顔が見える機会でもありますよね。色々な場所で、色々な人達を撮りましたよ。モノクロフィルムで。デジタルではありません。修道院を見学して、坂道を登ってくる修道士の方々もカメラに収めたりもしました。コーディネーターの方は「彼ら、写真に撮られるのを嫌がるのではないかしら?」と、ちょっと心配されていましたけれど、撮らせて頂けました。(生涯を神に仕えるという)別の人生を垣間見ることができた、と思いました。
Q:初めてのルクセンブルクの印象はいかがでしたか?
H:こじんまりしていて、でも、全てが揃っている、と思いました。そしておおらかな国。余裕があるというか。小学校は週3日フルで授業があったら、後の2日は午前中だけ、とか。ランチは一旦、家に戻って食べる子が多いとか。羨ましかったですね。わずか10日でしたけれど、少しずつですが一日一日と陽が長くなって、ヨーロッパが確実に春に向かっていることも感じました。
Q:ルクセンブルクの様々な光景、様々な人々を撮って、帰国されて。そして写真展が開催されたのですね。
H:ええ。新宿の伊勢丹で。グラメーニヤ大使の奥様が写真展の中に素敵なルクセンブルクのコーナーを演出してくださいました。そして、ジャン大公ご夫妻、今のアンリ大公のご両親と、皇太子殿下ご夫妻、浩宮様と雅子様、をお迎えしました。忘れられない思い出です。
Q:もう少し詳しく教えていただけますか?
H:お出ましになる時間が近づくにつれて、警備のSPの数はどんどん増えていきました。その中でお待ち申し上げていたのですが、グラメーニヤ大使ご夫妻の案内で会場にお出ましになった大公殿下は、満足されたような笑顔で、ニコッとしながら僕に向かって歩いてきて、「私の国をこんなにきれいに撮ってくれてありがとう」とおっしゃってくださいました。それから出展作の中に夜の景色の中の銅像の写真があったのですが、その写真の前で「夜はこういう風に見えるのですね。これは私の母の銅像です」とも。
Q:うわー。凄い。
H:ロイヤルファミリーですからね。浩宮様も大公殿下の笑顔をご覧になり、安心されたご様子で、にこやかに「どういうカメラで撮影されているのですか?」とご質問くださいまして。「ライカとローライフレックスです」とお答えしましたら、「ああ、上からのぞくカメラですね」とカメラをのぞくジェスチャーをされて。外の人からは皇太子殿下が私に頭を下げているように見えてしまって・・・。
Q:あらあら(笑)。
H:話はまだ続きまして(笑)。秋篠宮様とロンドンでお目にかかった時に、ご自分のカメラの調子が悪いとおっしゃられたので、電池を交換したら直りました。この時の事を浩宮様に申しましたら、「弟がお世話になりました」と。また、殿下が私に頭を下げている・・・。
Q:周りの方は「何だ?何だ?」と思われたでしょうね、きっと(笑)。お話を伺っていると非常に和やかな雰囲気が感じられます。
H:はい。予定をオーバーされて滞在してくださいました。それで、僕、思い切って大公殿下に「皆様の写真を撮ってもよろしいですか?」とお願いしたのです。ご快諾いただけて、大公ご夫妻、皇太子ご夫妻、グルメ―ニア大使の5名の方々が並んだ記念写真をサッと取らせていただきました。プリントして、大使にお渡ししました。今回、19年ぶりにルクセンブルクを訪ねることになって、この写真を2セット、再度プリントしました。ジャン大公のご子息のアンリ大公とグルメ―ニア大臣にお会いする時に、プレゼントしたいと思いまして。
Q:素敵ですね。さてさて、今回のルクセンブルク訪問について、話を進めていきましょう。
H:はい。
Q:今回の訪問も冬だったのですか?
H:いえ、今度は5月23日から1週間滞在しました。
Q:お一人で?
H:これも前回とは違いまして、息子(大輝(ひろき)さん。大学で経済学を学ぶ傍ら、ハービーさんの片腕として行動されています)と一緒。現地でお世話くださったコーディネーターの方も、今回は色々な方がついてくださいました・・・。(以下、次号)

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写真だけでなく、語り口も魅力あふれるハービーさん。根底にあるのは人に対する無限の興味と優しさなのですね。生き生きと語るハービーさんの表情を皆さんにお伝えしたくて、ご子息の大輝さんにインタビュー中の写真撮影をお願いしました。次回はルクセンブルク再訪のエピソードや、この秋に発売される予定の写真集について、お話を伺っていきます。(文責:事務局)