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るくせんぶるく ルクセンブルク
~魅惑的な小国~

私は欧州で20カ国以上を訪れたことがあるが、ルクセンブルクは、どの国よりも清潔で裕福で安全だと感じる。建物の色彩は肌色で屋根は灰色を基調にしたものが多く、清潔感と統一感がある。交通量が少ないせいかパリやブリュッセルのような外壁の黒ずみもあまりない。町を走る車は、住民がきれい好きなせいかどれもよく洗車されている。公共施設には真新しい設備が整っている。例えば公共のプールにはサウナ、ジャグジーがあり、高級ホテルのプールのようだ。職場のルクス人に聞くと近年は貧富の差が拡大しているそうだが、見た目にはあまり「貧」の部分を感じない。それが「安全」に通じるのかもしれない。
ルクスの起源はアルデンヌ伯爵のジークフロイド1世が、現在では「ボックの砲台Casemates du Bock(現地ではカズマットと言われることが多い)」で知られる場所に城を建てた西暦963年にさかのぼる。モーゼル川の支流である恐ろしくひねくれたアルゼット川に周囲を削られた高い岩山だ。「ルシリンブルクLucilinburhuc(小さな城)」 と過去の文献に記されており、これが国名の語源である。1060年頃、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられ、1354年には公爵家に昇格した。同家は14世紀初めから100年以上にわたり4人の神聖ローマ帝国皇帝を輩出し、欧州有数の名家であった。しかし、15世紀半ばに領地を拡大し過ぎ、財政は疲弊。フランスのブルゴーニュ家に支配権が渡って以降、400年にわたり、スペイン、フランス、オーストリア、ドイツなどの列強諸国がルクスを支配し、国名までもが消失した時期もあった。ルクスはこのような支配を受けながら、その地理的、地形学的な要因から要塞化されていく。
首都 (国名と同じルクセンブルク) の中央駅から旧市街へ歩いていくと町の象徴であるアドルフ橋にあたる。高さ45m、全長153m もあり、町なかにある橋としては驚くほど巨大だ。下を覗くと足がすくむ。よほどの戦術に自信がなければ、この断崖絶壁の上にある要塞に攻め込もうとは思わなかっただろう。17世紀後半にフランス国王ルイ14世に仕え、築城、攻城に長けていた将校であるヴォーバンにより要塞築城計画は始まった。その後18世紀前半より、神聖ローマ帝国皇帝カール6世が築城を指揮し、40年の歳月を経て完成。対仏最前線の壁としての役割を果たした。三重の城壁と24の城塞をかまえ、地下には全長23km におよぶ地下要塞が張り巡らされた。フランス革命時には蓄えがなくなって最後は降伏せざるをえなかったが、実にルクスを7ヵ月間にもわたり守り続けた。1867年のロンドン条約で永世中立国となり城壁の大部分を解体。ふたつの大戦中でのドイツによる支配を経て、今日に至る。
ルクスは国面積2586㎢と神奈川県と同程度の大きさであり、全人口60万人弱の小国である。しかし国民一人当たりの GDP は常に世界一を競う優良国であり、今や欧州の主要国として確固たる地位を築いている。1994年にはルクセンブルク市は世界遺産にも登録された。小国ながらこれほどまでに繁栄してきている理由は、神聖ローマ帝国時代に名門誉れ高い主権者の下にあったという自負に基づいた国民の忍耐強さ、かつて「北のジブラルタル」という勇名を轟かせたほどの戦略的要衝であったことが根底にあるのだと思う。
有能な指導者による効果的な政策も、今日の繁栄に結びついている。特に、国内産業は重工業と金融の2分野の役割がきい。前者である鉄鋼業は、同国南部で鉄鉱石が採掘されたことで活況となり、1960年台よりルクス経済を牽引する主要産業である。しかし、現在最も国内総生産において寄与度が高いのは、金融業である。当局の自由主義的な政策のもと、現在では150行もの銀行が世界各国から集まっている。特に投資信託業界では確固たる地位を築いており、ルクス籍投信は当局の柔軟な対応姿勢もあり、欧州では第1位、全世界的には米国に次ぐ第2位の市場規模を誇っている。また、最近では、国策として情報通信分野におけるインフラを整備したことから、世界各国の情報通信企業の欧州本部がルクスに集まってきている。
辛酸をなめた時代もあったが、これほどまでに繁栄しているルクスのしたたかさには驚かされる。一方、小国にもかかわらず、これだけ光るものがたくさんあるのはなぜなのか謎も多い。これから機を見てこの国の魅力を紹介していきたい。

松山宏昭