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「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 (17) 萩原克彦さん 前編 

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第17回: 萩原克彦さん (Mr. Katsuhiko Hagihara) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回はルクセンブルクのワイン輸入販売会社、La Cave des Sommeliers(ラ・カーヴ・デ・ソムリエ)の日本の輸入総代理店、La Cave des Sommeliers Japan(ラ・カーヴ・デ・ソムリエ・ジャパン)を立ち上げる萩原克彦さんのワインとルクセンブルクにまつわるお話を伺います。

事務局(以下、Q):こんにちは!会社の設立準備でさぞかしお忙しいでしょうに、インタビューをご快諾いただいてありがとうございます。まずは自己紹介をお願いします。
萩原(以下、K):こんにちは。お声がけいただいてありがとうございます。萩原克彦、29歳。山梨県出身です。「ハレの日にはワインを飲もう!」をキャッチフレーズに中価格帯のワインで日本の食卓を彩りたいと、只今、奮闘中です。
Q:ご出身は山梨県なのですか、東京かと思っていました。
K :生まれも育ちも山梨です。中学校の先輩にサッカーの中田英寿選手がいまして、それが僕のちょっとした自慢(笑)。
Q:山梨もブドウの産地ですよね。ワインとの繋がりは昔からあったのですか?
K:ワインを生業にしたのは、まったくの偶然です。小学校の時から英語を習っていて、小・中・高と英語が一番得意で、大好きでした。大学は別の言語を学びたいと思いまして、フランス語を専攻しました。英語やフランス語が活かせる職につきたくて、ワインの専門商社「エノテカ」に就職しました。
Q:なるほど。はじめにワインありき、ではなかったのですね。
K:ええ、学生時代はそんなにワインを飲んでいませんでした。仕事を始めてからですね。ワインの事をすごく勉強して、色々ティスティングもして、ワインが大好きになったのは。
Q:ルクセンブルクとの縁はどこで?萩原さんはルクセンブルクでお仕事されていたのですよね?
K:はい、2015年の1年間、これから、僕が日本の輸入総代理店となるルクセンブルクの La Cave des Sommeliers(ラ・カーヴ・デ・ソムリエ)の本店に勤務しました。ベルギーまで徒歩10分位のSteinfort(シュタインフォート)を拠点とするワインの輸入販売会社で、ルクセンブルクの本社、本店の他にベルギーのHabay (アベ)やMarche(マルシュ)にも店舗があります。
Q:エノテカからの派遣だったのですか?ルクセンブルクで仕事をした経緯を詳しく教えてください。
K:いえ、エノテカを辞して、ルクセンブルクに渡りました。2013年に「運命の出会い」がありまして。
Q:「運命の出会い」ですか?
K:ええ、大げさな言い方だと思われるかもしれませんが、僕にとっては、偶然と呼ぶにはあまりにも大きな力が働いていたので。順を追ってお話すると、2013年に僕はエノテカの銀座店に勤務していました。その年、世界最優秀ソムリエコンクールが有楽町の国際フォーラムで開催され、La Cave des Sommeliersのベルギー店で働くAristide Spies(アリスティド・スピーズ)がベルギー代表として来日しました。彼はこのコンクールで世界第三位だったのですが、その彼がベルギーソムリエ協会の方々と、私が勤務していたワインショップに来店したのです。
Q:エノテカの銀座店ですね。
K:はい、そうです。その時に、御一行を僕がフランス語で対応して・・・。
Q:お、フランス語で。すでにフランス語は不自由なく話せたのですね!
K:まあ、会話に困らない程度には(笑)。大学時代にフランスのアンジェに留学もしていましたし。その時に色々とお話することができて。彼らのビジネスのことや、いつか海外で腕を磨きたいと思っていることなども。僕がやりたいと思っていたことが出来そうだ、と意を強くしまして、海外でより厳しい環境で勝負する決意をしました。
Q:それでルクセンブルク?
K:御一行の中にはLa Cave des Sommeliers社長のPascal Carré(パスカル・カレ)氏もいらっしゃって。初めはベルギーの就労ビザを申請したのですが、ダメでした。あきらめずに、今度はルクセンブルクの就労ビザにチャレンジして。パスカルもそうですが、LIEFの発起人の松山さんにも申請の仕方を教えていただいたりして大変お世話になりまして、お蔭様で無事、就労ビザを取得でき、2015年1月にルクセンブルクに発ちました。
Q:それで1年間ルクセンブルクに滞在されたのですね。もしかして、ルクセンブルクに行ったのは初めて?
K:はい。初めてのルクセンブルクでした。周りに知り合いはほとんどいなくて。日本食のレストランのシェフをされている安岡さんにとても良くして頂きました。安岡さんから沢山の日本人の方をご紹介頂き、帰国した今でも仲良くさせていただいています。
Q:どのような生活だったのですか?
K:ルクセンブルク市から車で20分ほどのMamer(マメール)という町で暮らしました。住居は会社が探してくれたシェアハウスで、フランス人、クロアチア人、それからポルトガル人、この方はすでにお仕事をリタイアされたおばあちゃんでしたが、との共同生活です。キッチン、ダイニング、洗面所は二人でシェアをし、週一回ハウスクリーニングがありました。お互いの国の文化について話す事も多く、とても良かったです。
Q:通勤はどうされていたのですか?バス?
K:車です。右側通行、左ハンドル、マニュアル車、環状交差点、交通標識、そして雪・・・。東京は公共交通機関が発達しているでしょう。僕はペーパードライバー状態でしたので、最初は正直、とても「ビビり」ました。運転に慣れるために、同僚に助手席に乗ってもらい、近くのスーパーで運転教習を受けたことが懐かしいです。運転する僕よりも彼のほうが怖かったと思います(笑)。
Q:ルスクセンブルクの交通量はどうでした?都内並みに混んでいましたか?
K:通勤時の交通渋滞は想像を遥かに超えていました。物価の安いベルギーに住み、給料の高いルクセンブルクの企業に勤める人が多いのですよ。幸いにも私は、朝はベルギー方向に出勤し、夜はルクセンブルク方向へのドライブでしたので、この大渋滞には巻き込まれずに済みました。
Q:それは何より(笑)。会社での仕事は主にどんな事をされていたのですか?
K:色々と経験させてもらいました。店頭販売、セミナー開催、様々なイベントでのワインサービス、買い付けにも同行しました。それから毎週、金曜と土曜の夜にはルクセンブルクの老舗レストラン、「Um Plateau(ウム・プラト)」でワイン・サービス。この店ではベッテル首相と外国の要人の方々の食事会のワインサービスを担当させていただいたり、ルクセンブルク・フィルハーモニー主催のイベントにご臨席されたギョーム殿下にもワインサービスをさせていただいたりもしました。
Q:わ!盛沢山ですね。すごく忙しかったのでしょうね?
K:ええ。特に金曜と土曜は凄かった。日本で仕事している時よりも。もう少し就労時間は短いかな、なんてちょっと期待していたのですが、甘かった(笑)。
Q: ちなみに金曜と土曜はどんなスケジュール?
K: とある金曜日のスケジュールですが・・・。
8:30 自宅出発。ベルギーのHabayにある自社商品倉庫へ。
9:00  Habayで荷積みをして、ルクセンブルクのSteinfortまでワインを輸送。
  9:30 荷下ろしをし、輸入通関手続きをする。
10:00-12:00 翌日の試飲会の準備
12:00-13:00 昼休み
13:00-18:00 ワインショップでの業務全般
18:00 ルクセンブルク市内にあるレストラン Um Plateauに移動。
19:00 レストランでソムリエとしてワインサービスを行う。
23:00 帰宅
Q:ひえー!ワークライフバランスってものが存在していない(笑)
K:ですね(笑)。その他の日は9時から18時30分位でしたので、まあ、金、土が特別なのですけれど。でも老舗でソムリエの作法に磨きをかける事ができたのは幸運以外の何物でもないと思いますし、そういう機会を与えてくれた会社に感謝しています。(以下、次号)

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ワインとルクセンブルクにまつわる話のあれこれを、目をキラキラさせながら語る萩原さん。「好きな事の延長が仕事になって、僕は非常に恵まれている」とおっしゃるご本人のワインへのパッションとルクセンブルクへの愛着を伺いながら、快い酔いを感じました。次回は萩原さんの見たルクセンブルクの印象や今後の抱負を伺っていきます。(文責:事務局)