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「人」コラム – ルクセンブルクの横顔 (14)

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第14回: 岩垂欧太郎さん (Mr. Otaro Iwatare) ― 後編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
前回に引き続きご登場いただくのは、ルクセンブルクで生まれ、8歳まで過ごした経験をもつ岩垂欧太郎さん。後半は日本に帰国してからのエピソードや今後の抱負についてお話を伺っていきます。

事務局(以下、Q):さて、8歳で日本に戻られた岩垂さんですが、戻ってきて、一番つらかったことは何ですか? 日本の生活にはすんなり溶け込めましたか?
岩垂(以下、O):そうですね。子供でしたから(笑)結構、すんなりと日本の生活に溶け込めたと思います。もちろん、最初は戸惑いましたし、慣れるまでに1年くらいはかかりましたけれど。ただ・・・。
Q:ただ?
O:湿気には参りました。
Q:ああ、ムシムシ、ジメジメ。私も北海道育ちなので、初めての東京生活で、あの何とも言えない蒸し暑さが一番堪えました。
O:、里帰りで日本に滞在していたことはあったのですが、梅雨を経験したことはなかったのです。小学校3年生の5月に戻りまして人生で初めての梅雨。もう衝撃的でした。雨がシトシト降る事が驚きでしたし、何より身体が辛かった。あの湿気、それから暑さ。日本はモンスーンアジアなのだな、と思いました。
Q:なるほど。学校生活はいかがでした?
O:半年くらいは中々馴染めなかったです。放課後にサッカーをしたりして徐々に(笑)。最初は名前のこととか、ルクセンブルクってどこ?とか、色々珍しがれ・・・ 。
Q:ああ、ルクセンブルクは小学生には未知の国・・・。
O:いえ、大人にも未知ではないでしょうか?今でもたまにルクセンブルクにとても詳しい方に遭遇すると、とても嬉しくなります。
Q:そうですよね、わかります。ルクセンブルクについて、もっともっと日本の人達に知ってもらいたいです。しつこいですが(笑)、日本の学校生活はインターナショナルスクールとは凄く異なっていませんでしたか?
O:そうですね。一番の驚きは「掃除当番」。生徒が学校を掃除するということは、インターナショナルスクールではありませんでした。そういう当番というか、規則があることも僕は知らなかった。だから、知らずに帰宅してしまって、周りから大顰蹙を買いました。
Q:転校生の岩垂の奴、掃除サボりやがって(笑)。
O:その通りです。でも、僕は、なぜ皆が怒っているのかもわからなかった(笑)。掃除当番はそれからちゃんとやりました(笑)。正直、違和感はありましたけれど。一番納得できなかったのは雑巾がけ。学校の雑巾、というかモップはもう真っ黒で、バケツにつけた瞬間に水が真っ黒になる代物だったので、これで雑巾がけをするのは、かえって汚くなると。先生にもこれは逆効果ではないかと意見したのですが・・・。
Q:その意見は通った?
O:いえ、残念ながら。何でも型通り、従来通りという・・・。日本社会の暗黙のルールにはかなり反感がありました。
Q:なるほど。日本で生まれ育った人が当然のこととして受け入れているルールや常識は、他の文化圏の人達から見ると非常に特殊だったりしますよね。私はアメリカの大学に留学して、初めての授業で、学生たちがペット・ドリンクを飲みながら聴講していることに衝撃を受けました(笑)。私が在籍していた日本の学校は、授業中に飲み物を飲むなんて、ありえなかった。もちろん、遥か昔のことで、今の日本の大学の状況は存じませんけれど。小さなことが実は大きなことでもあったりしますよね。
O:そう思います。小さなギャップを埋めていくことは大切ですよね。
Q:話は変わりますが、先ごろ、ルクセンブルク貿易投資事務所でインターンをされていたのですね。
O:はい。2ヶ月ほどお世話になりました。
Q:それは、どういう経緯で?
O:今年の4月から社会人生活がスタートするのですが、その前に一度、就業経験を積みたいな、と思いまして。父が仕事の関係でルクセンブルクと繋がりが深かったこともあって、お手伝いをさせていただける機会を得ました。
Q:お仕事の内容は?
O:ファイリングやリサーチの下調べ、それから丁度、ルクセンブルク本国から要人の方々が訪日される期間と重なっておりましたので、ロジスティックのヘルプなどです。ホテルの下見にも同行させていただけて、コツやアドバイスも教えていただきました。とても貴重な経験です。
Q:ああ、それは今後の役人人生にすごく役立つと思います。そういう「小さな」ことが、訪日ミッションの成功に大きな作用を及ぼしますから。
O:ええ、ありがたい経験でした。ルクセンブルク大使館は本当にオープンかつフラットで、インターンシップ初日から大使や公使に話しかけられて、正直、びっくりしました(笑)。
Q:外務省では期待できない?
O:まだ、入庁前なので断言できませんけれど、例えば、モスクワの日本大使館は職員が100名以上いて、完全な分業制だと聞いています。日本のルクセンブルク大使館は少人数なので、何か大きなイベントがあると皆が総動員で臨戦態勢という感じでした。
Q:岩垂さんがそもそも国際関係の仕事、もっと突っ込むと外交官を志したきっかけは何かありますか?ルクセンブルクで生まれたことは関係していると思いますか?
O:うーん、どうでしょうか。少しは関係しているかもしれませんが、直接的なきっかけは、中学生の時に外交官の方とお会いする機会があって、それが引き金で今後の進路を決めたことが大きいです。高校も文系に進みました。
Q:日本の外交官の方?
O:そうです。こういう仕事があるのだ、と。
Q:思い描いた方向通りにちゃんと進んだのは流石ですね。子供の頃の目標を到達できる人は少ないと思いますよ。将来はやはり、ロシアとの外交をターゲットにしたいのですか?
O:できれば、そうしたいです。先ほどもお話しましたけれど、地理的にはユーラシア大陸で日本とも、ヨーロッパとも近いのに、全く違うシステムで成り立っている国です。中国も違うシステムの国ですけれど。
Q:まさしく、その通りですね。
O:ルクセンブルクから戻ってきて、当初は日本とルクセンブルクの違いにインパクトがありましたけれど、今は、類似性を強く感じています
Q:類似性?
O:はい、社会のシステムとして、例えば自由な経済活動であったり、言論の自由であったり、非常に似ていると思います。日本は極東と言われていますけれど、僕の個人的な意見では極西と言って良いのではないでしょうか。欧州の民主主義システムが機能している最も西の国。
Q:わー、面白い!日本は極東ではなく極西という見方、確かに一理あります!世界地図だって南半球と北半球をひっくりかえしたものもありますし。話は飛びますけれど、私、オーストラリアをダウンアンダーという英語の表記はちょっと嫌です。
O:どこを基軸とするかで、とても違いますよね。
Q:基軸の取り方は、どうしても経験値が影響すると思います。岩垂さんのルクセンブルクに対する印象や思い入れを改めてお聞きしたいのですが。
O:この間、10数年ぶりにルクセンブルクに行ってきました。インターナショナルスクール時代に一番仲の良かった友達を訪ねて。スウェーデン出身の子で、ずっとカードを交換して連絡し合っていたのです。インターナショナルスクール時代の友人達は、ルクセンブルクから他国へ引越ししてしまった人達も多いので、皆が一同に会する同窓会のようにはならなくて少し寂しかったのですが、それでも何人かと旧交を温められたし、とても良かったです。再訪で感じた事は、ルクセンブルクは非常にコスモポリタンで、多彩なバックグランドを有する人々が住んでいるということ。これは、他の地域ではあまりない環境ではないかと思います。経済的な発展も遂げており、居住する国としては良い環境にあると思います。
Q:生まれ育った場所が良い環境にあると思えるのは、とても幸せですね。岩垂さんの今後のキャリアの中で様々な地域に赴任することになると思いますが、ぜひコスモポリタンな地で生まれた強みを生かしてくださいね。今日はありがとうございました。
O:こちらこそ、ありがとうございました。

***

岩垂さんが日本に戻ってきてからの掃除当番のエピソード、非常に印象的でした。「そうか、なるほど」と思いつつ、先生の反応が思わず目に浮かびました。子供だったので、帰国してからはそんなに大変ではなかったと、岩垂さんはサラッと言われたけれど、きっと日常生活での様々な折り合いを上手につけていったのだろうと推測します。その柔軟性と、計画性、粘り強さ(ルクセンブルク時代の友人と連絡を取り合い続けた事はちょっとすごい)で日本の外交に今後おおいに貢献してほしいと思います。(文責:事務局)