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ルクセンブルクの伝統 4月

ルクセンブルクの伝統―4月

4月(ルクセンブルク語で「Fréilénk」)

多くのヨーロッパ諸国と同じように、ルクセンブルク人はエイプリルフールの悪戯が大好きです。4月1日は悪戯の日として有名で、たくさんの人々が友人をからかいます。一般的な楽しみ方は、嘘や作り話、デマやおかしな行動を、相手に信じ込ませるというものです。最近では、毎年この時期になると、嘘の報道やデマが、新聞やソーシャルメディアを賑わせます。4月1日に言われた嘘をかなりの数の人が信じてしまうことも、珍しいことではありません。

大いに笑って笑顔になったら、ルクセンブルクの人々は復活祭に備えます。キリスト教の国であるルクセンブルクでは、3月か4月に復活祭を祝います。教会暦を考慮するため、開催日は年によって変わります。もちろん、復活祭の催しは、日曜日の復活祭当日の数日前から始まります。

「Gréngen Donneschden」(聖木曜日、直訳すると緑の木曜日) は、イエスの最後の晩餐の日ですが、この日に、ラチェットを使った三日間にわたる長いパレードが始まります。長い歴史のあるこのキリスト教行事は、「klibberen」(ガラガラ鳴ることという意味) と呼ばれます。

「Klibber」(ラチェット、または音を立てるものという意味) は木製の楽器で、堂役を中心とした子どもたちが鐘の代わりに使います。伝説によると、教会の鐘は、復活祭の祝福を受けるためにローマへ飛んで行ってしまいました。鐘がないので、子どもたちが「Klibber」を振りながら町を練り歩くという仕事を務めているのです。風習では、子どもたちは村の通りを1日に3回通り抜け、信者たちをミサへ招待します。その時、子どもたちが次のように叫ぶのが伝統になっています。「D’Moiesklack laut」(「朝の鐘が鳴るよ」、6時以降)、「d’Mëttesklack laut」(「昼の鐘が鳴るよ」、12時ちょうど)、「d’Owesklack laut」(「夕方の鐘が鳴るよ」、18時以降)。頑張った子どもたちには、ご褒美をあげることになっています。復活祭の当日に子どもたちが民家の扉を叩いて回り、お菓子や卵、時にはお小遣いをもらいます。その時に、子どもたちはこのような歌を歌います。「Dik dik dak, haut ass Ouschterdag!  Mirkommen d’Eér ophiewen, déi rout,  déi wäiss,  déi blo,  d’Ouschtere sinn do.」(ディクディクダク、今日は復活祭! 卵を集めに来たよ。赤いの、白いの、青いの。今日は復活祭!)

ルクセンブルク語の「Gréngen Donneschden」の語源について、興味深い話があります。語源を研究したルクセンブルク人作家のEdmond de la Fontaine (1823-1891) によれば、ある宗教的起源が由来となっているそうです。それは、この日がイエスの最後の晩餐の日だったため、信者がハーブのスープと緑色の野菜しか食べないように決めたというものです。

「Karfreiden」(聖金曜日) には、魚の日という秀逸な呼び名もあります。この日には、イエスの受難と死を尊び、肉を食べてはいけないという風習があります。四旬節の間に断食をしない人も、1年中魚を食べない人も、「Karfreiden」には家族全員で、キリスト教徒の信仰の象徴である魚を食べるのがならわしになっています。「gebackene Fësch」(魚の揚げ物)や、焼いたシタビラメ、「Saumonsquiche」(サーモンのキッシュ) といった名物料理は、ルクセンブルクの家庭ではごく普通に食卓に上がるメニューです。

多くのキリスト教の国々と同じように、ルクセンブルクでは、伝統的なラム肉料理やイースター・バーニー、色をつけたゆで卵で復活祭を祝います。家の庭に卵を隠し、幼い子どもたちがそれを探すという、復活祭ならではの遊びもあります。それに加えて人々は、気持ちの良い春の陽気を楽しみます。最近では、既に色付けされた卵がスーパーマーケットで買えますが、子どもが親を手伝い、「Ouschterhues」(復活祭のうさぎ) のために色付きのゆで卵を準備するという風習もあります。たいていの場合、うさぎも、卵やチョコレート、ちょっとしたプレゼントと一緒に隠されます。「Kleeschen」(サンタクロース) が子どもたちにおもちゃを届けるのに対し、うさぎは主に洋服を届けます。ですが、サンタクロースと同じく、「Ouschterhues」は、良い子にしかプレゼントを贈りません。

また、復活祭の伝統として、「Betzelsonnden」(3月の伝統の記事を参照) に、自分に好意を寄せる男性からプレッツェルをもらった女性は、お返しにチョコレートの卵を贈らなければいけません。ただし、男性の申し出を受け入れたくない女性は、拒否を象徴する空のかごを男性に渡します。なので、ルクセンブルク語の「de Kuerf kréien (かごを贈られる)」という表現には、拒否されるという意味があります。

最後に、復活祭の翌日には、「Emaischen」という民族的なお祭りが催されます。このお祭りでは、ルクセンブルク市 (1827年から) と、ルクセンブルク南西部の街Nospelt (1957年から) で、市場が開かれます。「Emaischen」という名前にも、宗教的な意味が含まれており、聖書に登場するエマオ(Emmaus)という地名が由来となっています。Emmausは、復活したイエスが、二人の使途とともに現れた町です。民族舞踊や、ルクセンブルクの伝統的な食べ物や飲み物、子どものための催し物などが魅力で、毎年何百人もの人々が訪れます。しかし、この市場で一番の名物は、「Péckvillecher」という鳥の形をした土笛です。陶芸家たちが集まり、世界的に名高い「Péckvillecher」を販売します。かつては愛好家の間でのみ取引されていましたが、近年その人気が増しており、収集家の間で価値が高まっています。