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「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 第45回:川又康平さん(Mr. Kohei Kawamata) ― 前編 

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回は、2019年9月から2020年3月までルクセンブルク大学の交換留学生としてルクセンブルクに滞在した川又康平さん(Mr.Kohei Kawamata)からお話を伺いました。

事務局(以下、Q):こんにちは。初めまして。
川又:(以下、K):初めまして、川又です。今日はよろしくおねがいします。
Q:まずは、自己紹介をお願いします。
K:川又康平です。上智外国学部英語学科3年生の時にルクセンブルク大学に交換留学生として留学しました。新型コロナウィルスの影響で1年の予定だった留学期間が半年になってしまい、今年の3月に帰国しました。今、大学は休学中で来年から上智大の4年に復学します。
Q:では、前回LIEFにご登場いただいた小原ゆゆさん(https://lief-lux.com/people/vol-43-ms-yuyu-obara/)と同じ時期にルクセンブルクに?
K:はい、そうです。
Q:もしかして、帰国便も一緒?
K:はい、他の留学生も含め5人で一緒に。
Q:トランジット拒否にあったと小原さんから伺いましたが、大変でしたね。
K:かなり特殊な経験でしたね。僕のブログにも書きました。
Q:ブログ?
K:「ルクセンブルク滞在記 (What I found in Luxenbourg)」という個人ブログです。留学中のあれこれや所感などを思いつくままに。(笑)
Q:是非拝読したいです!URLを教えていただけませんか?
K:ありがとうございます。http://koheikawamatainlux.com/ です。
Q:そもそも、何故ルクセンブルクに留学しようと思われたのですか?
K:実は、僕、ルクセンブルク生まれで、7歳まで住んでいました。日本に帰国してからルクセンブルクを訪ねることはなかったので、生まれ故郷に戻って、そこで生活したみたいということが大きな理由でした。あと、僕の専攻は言語学なので、マルチランゲージ国家のルクセンブルクで学びたい、ということもありました。
Q:ルクセンブルク生まれなのですね!ということは、川又さんはマルチリンガル?
K:いいえ。家族の話だと3歳くらいまではフランス語やルクセンブルク語を話していたらしいのですが、インターナショナルスクールの授業は英語でしたし、ルクセンブルクでも家庭では日本語、日本に戻ってからはフランス語やルクセンブルク語を使うことは皆無でしたから。今、僕ができると言える言語は日本語と英語だけです。留学生活の中でフランス語を少しだけ使いましたけれど、かなり苦労しました。
Q:ルクセンブルクに暮らされた幼少時に日本に来ることはありましたか?
K: はい。両親の実家が船橋市にありまして、夏休みなどに日本に行きました。
Q: その時の日本の印象、覚えていらっしゃいますか?
K:そうですね、ルクセンブルクには無い大きなショッピングモールがあって、モールの中にカードゲームの器械がずらっと並んでいたのが新鮮でしたね。DSなどのゲームも盛んで、日本は子供の遊びが発達しているなぁ、と思いました。
Q:ああ、ルクセンブルクは日本の郊外によくあるショッピングモールはないかもしれませんね。
K: いたるところにコンビニがあったり、船橋駅前にイトーヨーカドーがあったりして、便利だなとも感じましたね。
Q:日本の夏の暑さや湿気は平気だった?
K:いいえ。湿度が高いのは慣れませんでした。そして蝉がうるさい(笑)ことも暑さが増す感じがして・・・。
Q:ああ、とてもよくわかります(笑)。川又さんのルクセンブルクでの大学生活をお聞きする前にもう少し、小さな頃のことをお伺いしてもいいですか?
K:はい、どうぞ。
Q:ルクセンブルクではインターナショナルスクールに通われていたということですが、7歳で日本に帰国されてからは?やっぱりインターに?
K:公立の小学校に通いました。
Q:カルチャーショックはありませんでしたか?
K:ありましたね。教室の掃除とか・・・
Q:インターナショナルスクールでは生徒は掃除しませんものね。
K: はい。掃除当番って何?という感じでした。(笑)それから給食。食べ物の好き嫌いがあったので、かなり辛い時間でした。
Q:全部残さず食べるまで席を立ってはいけない、という方針の先生もいらっしゃいますしね。インターナショナルスクールスクールに給食は無かったのですか?
K: カフェテリアでお昼を取るのですが、メニューが何種類かあって、その中から選べるので困ったことはありませんでした。でも、給食は選択肢がなくて苦手な食べ物が容赦なくでてくる(笑)。
Q:日本語で苦労したことは?
K:それは無かったです。家の中では日本語でしたし、インターナショナルスクールで日本語の補修プログラムも受けて、日本人の先生から国語を教わっていましたし。
Q:給食以外はすんなり溶け込めたわけですね。
K:そうだと思います。
Q:さて、交換留学生として13年ぶりにルクセンブルクに戻られた川又さんですが、印象はいかがでした?
K:子供の頃の細かな記憶はなかったのですけれど、どこか懐かしい感じがしました。昔とあまり変わっていないのではないかな、という印象を受けました。
Q:再訪したら一番に訪ねたかった場所はありましたか?
K:はい。昔住んでいた家を見てみたいと思いました。
Q:実際に行かれたの?
K:はい、行きました。
Q:探すのに苦労した?
K:すぐ見つかりました。変わっていませんでしたけれど、家が小さく感じられて。自分が大きくなったからなのでしょうけど。
Q:そうですね、子供の頃は周りが大きく感じますものね。さて、ルクセンブルク大学での生活についてお聞きしたいのですが、何を専攻されたの?
K:European CultureのEnglish Studiesです。芸術、ポエム、言語学などの授業を取りました。
Q:ポエム?詩ですか?
(以下、次号)

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ルクセンブルク生まれの川又さんは、とてもきれいな日本語を使う穏やかな物腰の好青年でした。言語にとても興味があるということで、ルクセンブルク大では(私にとっては超難解な)ポエムの授業も受講したとのこと。次回はルクセンブルク大での授業や日々の生活についてお話を伺っていきます。 (文責:事務局)