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人物で見る歴史2 マンスフェルト

人物で見る歴史シリーズの第2回目は、現在もルクセンブルク市クラウゼン地区にレストラン名と公園名として名を残しているマンスフェルト総督を取り上げてみます。最近は、 マンスフェルト総督のちょっとしたブームで、昨年は「 マンスフェルトとメダル展」が、 ドライ エーシェレン (3 つのドングリ)博物館で開催され、また、今年は国立公文書館で、「消えた マンスフェルト城展」が続いて開催され、また、新たに マンスフェルトの本も出版されています。

マンスフェルの正式名は、 ペーター・エルンスト1世・フォン・マンスフェルトで、ドイツ東部のザクセン州で1517年に生まれ、1540年にルクセンブルク総督に就任して以来、死亡時まで務めていました。途中1590年には一時、 スペイン領ネーデルラント総督も1594年まで兼ねていました。ルクセンブルク市の クラウゼン地区にルネサンス庭園を備えた城館を建設したことでしられており、現在、庭の跡が マンスフェル 公園として整備され、2017年から一般公開されています。軍人として、欧州各地の戦いに参加していたため、資金不足に悩まされ、城館建設は難航しており、1604年に城で亡くなったときには完成していませんでした。前記の 「消えた マンスフェルト城展」では、3D映像で復元された城を見ることができました。
時代は、スペインの黄金時代である大航海時代に当たり、支配者がスペイン王家から ハプスブルク家に変わって、 オーストリア、オランダ、ナポリ、ミラノまでをも領有することになり、 中南米だけでなくフィリピン、マカオ、マラッカなどをも植民地下において、「 太陽の沈まない国」になった16世紀に当たります。日本では、丁度、戦国時代から江戸時代の始まりになります。
ルクセンブルク市観光局のCircuit Mansfeldで マンスフェルトの足跡を訪ねることができます。