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人物で見る歴史3 ロベール・シューマン

長い間中断していましたが、人物で見る歴史シリーズを再開します。中断の原因は、1万枚を超える膨大なルクセンブルクで撮影した写真が未整理で掲載写真を探す時間がなかなか取れなかったためです。
第3回目は、ヨーロッパの父と呼ばれるルクセンブルクで生まれたロベール・シューマンを取り上げてみます。おそらくルクセンブルク生まれの人物としては、欧州でもっとも知られた人物です。

シューマンは、1886年6月2日にルクセンブルク市のクラウゼン地区で、ルクセンブルク国境に隣接するフランスのEvarange生まれの父とルクセンブルク南部Bettembourg生まれのルクセンブルク人である母親の間に生まれました。家庭内ではルクセンブルク語で会話していたため、母国語はルクセンブルク語です。高校までルクセンブルクで教育を受け、仏独語を取得し、ドイツの大学で法律を専攻し、当時独領であったフランスのメッスで弁護士を始めました。第一次大戦のドイツ敗戦で、フランス市民となり、議員として政界に進出し、第二次大戦後、1946年財務大臣、1947年首相、1948年から1953年外務大臣を歴任しました。その後、1958年から1960年まで欧州議会議長を務め、1963年9月4日にメッス近郊で亡くなりました。シューマンを有名にしたのは、1950年5月9日にジャン・モネが作成した独仏協調を図る石炭鉄鋼共通市場案もとに、シューマン宣言を発表したことです。これが後の欧州石炭鉄鋼共同体そして現在の欧州連合に発展しました。シューマン宣言を記念して5月9日は「欧州の日」となり、ルクセンブルクでは2019年に祝日に制定されています。
シューマンの生誕した家は、現在、ルクセンブルク大学とロベール・シューマン研究センターが置かれていますが、一般公開はされていません。ただ、2017年5月に欧州の日を記念して、内部と庭園が公開されました。そのときに、撮影した写真を掲載します。