「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔
第15回: 及川太平さん (Mr. Taihei Oikawa) ― 前編
ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回、登場いただくのは、日本を代表するパテシィエであり、LIEFの発起人のおひとりでもある及川太平さん。横浜市青葉区の及川さんのお店「アン・プチ・パケ」にお邪魔して、ルクセンブルク大公国御用達の名門店オーバーワイス(Oberweis)をはじめとするヨーロッパでの修業時代のことやコンクールのことなど、若き日の写真を見せて頂きながら、色々なお話を伺いました。
事務局(以下、Q):こんにちは!お忙しい中、お時間を取っていただいてありがとうございます。まずは自己紹介をお願いします。
及川(以下、T):こんにちは。いらっしゃいませ(笑)。及川太平です。1960年東京生まれ、職業はパテシィエです。
Q:及川さんはお菓子の世界大会「クープ・ド・モンド」での2度の個人優勝をはじめ色々なコンクールで賞に輝くスーパー・パティシエですが、同時にオーバーワイスで働いた初の日本人でもあるのですよね?
T:はい。若い頃、1980年代の半ばにヨーロッパで3年くらい修業をして、最初はオーバーワイスから。
Q:そもそも、何故、オーバーワイス?ヨーロッパでの修業の始まりが、ルクセンブルクのお店というのは、かなり珍しいのではないでしょうか? まったく根拠はないのですが、私の中で、お菓子作りの修業はフランスというイメージがあるのですけれど・・・。
T:日本でパテシィエとして3年ほど働いて、もっと腕を磨くためにヨーロッパに渡ろうと。それで先輩に相談して、ヨーロッパの名門店に手紙を出したのです。50通くらい出したかな。結果的には、オーバーワイスとフランスのダニエル・ジロー(Daniel Giraud)、この2店舗からオーケーがきました。フランスのほうの店では、その時、既に日本人が修業しているということだったので、日本人のいない所の方が良いなと。単純な理由です(笑)。
Q:なるほど。
T:そもそも、当時の僕には、ルクセンブルクという国、いや、ヨーロッパの国についての予備知識がほとんどなくて。だから、この国で、というこだわりもなかった。パリにルクセンブルク公園ってあるでしょう?あの辺にあるお店かな、なんて思いながら手紙出したくらいだから(笑)。
Q:あらー(笑)。
T:さすがに渡欧の前には、大きな勘違いだったことが判明していましたけれど(笑)。
Q:では、言葉は?フランス語は話せたのですか?
T:いいえ。材料の名前と数字、あとはボンジュールとジュマペール・タイヘイ・オイカワ(笑)。そのくらいでしたね。
Q:おお、ある意味凄い。日常会話はできなくても、材料の名前と数字というキモはちゃんと押さえている!で、行ってみていかがでしたか?
T:初日に空港から電車でセンター(ルクセンブルク中央駅)まで行って電話をしました。そうしたら、オーバーワイスのオーナーのピットさんの息子さんたち、トムとジェフが迎えに来てくれました。
Q:わざわざ従業員を迎えにきてくれたのですか?親切ですね。
T:ええ。二人は、何故か、とてもハイテンションで、僕も楽しくなりました。
Q:珍しい人種が来た!と思ってテンションが上がったのかな? それとも及川さんをリラックスさせるための作戦かな?
T:両方かも(笑)。彼らとはこの時以来ずっと、今でも付き合いが続いています。
Q:それですぐ、仕事開始?
T:そうです。翌日から工場で。及川太平です。日本人です、と挨拶して。店は市の中心部に数店舗ありましたが、工場はひとつだけで、郊外の、牛がのんびり草を食んでいるような、すごく長閑な場所にありました。りんごをかじりながらカントリーロードをテクテクあるいて出勤。徒歩30分くらいだったかな。すぐ靴がだめになってしまいました。工場は分業制で、パンの担当が一番早いのです。朝3時くらいから仕事が始まる。だから僕も3時から働きました。そうすると、午後、1時とか2時には仕事が終わるでしょう。で、自発的に飴細工を作ってみたりして。
Q:わあ、タフですね!それでは寝不足になってしまうのではないですか?
T:まったく、何ともなかったです。日本ではもっと仕事をしていたので。実は、僕、かなりの寂しがり屋なのですよ(笑)。寂しいし、心細い。だから一生懸命仕事をしました。仕事場では、人手の足りない、弱いところに意識的についてサポートをしました。恩返しをしたかったし、日本人として恥じないように、と思って。
Q: 恩返し?
T: そうです。周りがとても親切だったし、いい仕事をすると、ちゃんと認めてくれる。実は、ルクセンブルクに自分の白衣を持って行かなくて。ピットさんから「何しにきたの?」と(苦笑)。失敗でした。
Q:そうか、皆さん、マイ白衣、ソムリエさんだったらマイエプロン持参が常識なのですね。
T:そうです。同僚が町まで連れて行ってくれて、無事、白衣を買えました。町の地理などは右も左もわからなかったので、ありがたかったです。それから、違法労働の嫌疑がかかった時にも周りの皆が応援してくれて。
Q:え?その辺をもう少し教えてくださいますか?
T:当時は、3カ月おきに他国に出て、また戻れば大丈夫だと聞いていました。僕としても、腕を磨くためだから、お給料はあてにしないで、日本で一生懸命ためた60万円をもって海を渡ったわけです。ピットさんは、とても心が大きくて親切な方ですから、大使館に「今度、こういう日本人が、うちの店で働くことになりました」と報告。そうしたら大使館から電話がかかってきまして「それはマズイ」と。もうどうしようか、強制送還されるのか、と思いました。その時に皆が「タイヘイはすごく良い仕事をしている。必要な人材だよ」、「日本に帰る必要はないよ」「頑張れ」って、すごく励ましてくれて。ピットさんも奔走してくださって、結果オーライになりました。
Q:良かったですね!短期間のうちに及川さんの仕事ぶり、実力が皆に認められていた証ですね。どういう所が評価につながったのでしょうか?ご自分ではいかが思われますか?
T: そうですね・・・自分で言うのもなんなのですが(笑)、多少器用でしたし、何とかする底力があったからかな。自発的に作っていた例の飴細工も好評で、ピットさんも「これはいい」と褒めてくれたり、結婚式に作ってくれと注文がきたり。
Q:そうやって、実力が周囲に認められる。自発的ということは非常に大切ですね。指示待ち族が多い昨今、とっても心に響きます。
T:環境も良かったです。僕はわりに自己主張が強いというか、自分の意見をはっきり言う方なのですが、ちゃんと聞いてくれる。良いものは良いと素直に認めてくれる。日本人は、概して意見を言うことを憚りますけれど、環境のプレッシャーも大きいと思いますよ。
Q:そうですよね、上に物申す、って日本の職場ではかなり勇気がいることですね。親方としてのピットさんはどんな方でした?トップ・パテシィエが集う「ルレ・デセール」協会の前会長で、今は名誉会長であられる超大物ですけれど。
T:ピットさんは身体も心も大きな方で、とてもおおらかなお人柄です。オーバーワイスの次の職場も紹介してくれました。フランス西部、オーダンクールという街のベルニュ(Vergne)という店です。
Q:ベルニュも「ルレ・デセール」加盟の有名店ですね。
T:そうです。オーナーのベルニュさんの息子さんのエリックが理事をしています。ピットさんの息子のジェフもメンバーです。僕も2012年からメンバーになっていますが、春と秋の会合で、セミナーで真剣に勉強をするのですけれど、僕にとって懐かしい顔に会えるのは何よりうれしいですね。
Q:若き日の仲間たちが第一線で活躍していることをお互いに認め合えるのは素晴らしいです。
T:ええ、ジェフやエリックといったオーナーの一族だけでなく、元同僚が、例えば、ティエリー・ミュロップ(Thierry Mulhaupet)とか、頑張って活躍していることが嬉しいです。
Q:オーバーワイス、 ベルニュの後も修業が続くのですよね。
T:はい、オーナーからの紹介のバトンで(笑)。ナンシーのフレッソン(Fresson)、アルザスのジャック(Jacques)。通算で3年くらいの滞在になりました。ジャック時代の話ですが、クレーム・パティシエ(カスタードクリーム)があまり美味しくないな、と感じまして、ある時、機会があったので僕なりのやり方でしっかり炊き込んだなめらかなクレームを作ってみました。そうしたら、忘れもしない、オーナーのムッシュ・ランバートが、朝の4時に真っ赤な顔をしてやってきました。エクレアとクレームを両手にもって「これを作ったのは誰だ!?」と。
Q:え、怒って?
T:その反対。ランバートさんはオーナーとして毎日味見されていてとても厳しい方でしたので、「やばい!」と思ったけれど「私です」と答えたところ、僕のクレームの味に感動してくださって、「すばらしい」と喜んでいただけた。その日から僕の信用が高まり、色々な仕事をさせてもらえるようになりました。。そうやって印象に残ることをあちらこちらでしてきました。その後、帰国して一年半くらい日本にいたのですが、コンクールで日本代表になったので、また渡欧して。
Q:うーん、実力も大きな要因でしょうけれど、何か、及川さんを呼びよせる力が働いている気がします。
T:そうなのかな?先ほどもお話しましたけれど、僕は自己主張が強いタイプなので、ヨーロッパが気質に合っていたのかもしれないですね。自分を表現できたし、のびのびできた。そして、やれば認めてくれる、これが大きい。当たり前のことだけれど、言いたいことを言う前に、やることをちゃんとやらないとね・・・。 (以下、次号)
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ルクセンブルクを皮切りに、充実した修業時代を重ねてきた及川さん。順風満帆のように聞こえますが、本当に血の滲むような努力の積み重ねがあってこそ、と感じ入りました。次回は今だから言える辛かったこと、数々のコンクールでの怒涛の快進撃を中心にお話を伺いたいと思います。 (文責:事務局)