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「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔(5) 

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第5回: ジュリー・ハヤルさん (Ms. Julie Heyart) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回、登場いただくのは、慶応大学の大学院に在学中のジュリー・ハヤルさん。16歳で初来日し、日本での生活は通算で5年目になるそうです。

事務局(以下、Q):こんにちは!まずジュリーさんの自己紹介をお願いします。
ジュリー(以下、J):こんにちは。ジュリー・ハヤルです。ルクセンブルク市の出身で、今、28歳です。慶応大学大学院の政策・メディア研究科でヒューマン・セキュリティとコミュニケーションを専攻しています。
Q:あ、では湘南キャンパス?
J:はい、そうです。(藤沢市)湘南台の。実は、初来日の時も藤沢だったのです。
Q: え、そうですか?いつ、どんなきっかけで? 
J: 16歳の時に夏休みのホームスティ・プログラムで。ホストファミリーが江ノ島の近くに住んでおられて、約1か月滞在しました。七里ガ浜高校にも通いましたよ。2週間だけですが(笑)
Q: 海のそばですよね。
J: そうです。ルクセンブルクには海がないでしょう、ああ、違う国に来たのだな、と思いました。
Q: 何故、日本に?
J: 12歳、13歳くらいの頃、日本のマンガとか音楽とかが好きだったので。でも、それはその当時の話で、今もマンガが好きかと言われると、ちょっと違うけど(笑)。本音を言うと、実は日本でなくても良かったのです。とにかく、違う所へ行ってみたかった。ルクセンブルク市の郊外、市境というかに端っこのほうに住んでいたのですが、映画館があるくらいで他には何もないのですよ。緑はいっぱいありますけれど。それで、お休みの日に映画館に行くでしょう、そうすると必ず知り合いに会う。映画館の中は知り合いだらけ(笑)。刺激が少ないというか、することがないというか。ローティーンだからクルマも運転できないし。本当に行動が限られてしまって。
Q: あ、その気持ち、とても良くわかります。私の実家も、北海道の田舎町なので。
J: ホームスティは短期だったので、もう少し長く暮らしてみたいと思い、翌年、17歳の時に再度来日しました。この時は留学生として1年、静岡県の浜松市で暮らしました。
Q: お!バイクとうなぎの街ですね。
J: うなぎ、よく食べました。甘辛くて美味しいですよね。大好きです。
Q:それから、何度か日本に?
J: ええ。時系列で説明すると、浜松での留学を終えて、ルクセンブルクに帰国し、高校を卒業しました。そして、大学に進むのですが、大学はロンドン大学の東洋アフリカ研究学院(the School of Oriental and African Studies, 通称 SOAS)でしたので、イギリスで暮らしました。SOASでは政治学と日本語を専攻しました。この時に日本語のブラッシュアップのために日本に行くプログラムがありまして、慶応大学に留学しました。三田キャンパスでしたが。ええと、2010年から2011年まででした。
Q:では、東日本大震災の時に日本にいた?
J: はい。丁度、春休みで、寮にはほとんど人がいなくて。地震があった時、実はシャワーを浴びていた最中だったので、かなりパニックになりました。ほんと、どうしようかと思った。 
Q: ああ、それは大変。怖かったでしょう。
J: 本当に。両親がとても心配しました。帰ってきてほしいと何度も言われました。私の両親だけでなく、周りの人達も、地震がというより放射能への心配が大きかったですね。
Q:そうですか。チェルノブイリのこととかもありますし、センシティブですよね。 あ、すみません、話を戻しますね。で、ずっと日本?
J: いえ、韓国に。デュアル・デグリーと言うのですが、2年間、韓国の4年制大学(2年性学院)に通い、そのあと日本に来るという。昨年の12月に韓国でのプログラムが終了し、今年の1月から日本。慶応のスタートは4月からなので、それまでは日本語学校で日本語の会話力をブラッシュアップしたり、在日ルクセンブルク大使館の貿易投資事務所でインターンをさせてもらったりして過ごしました。
Q: え、ちょっと待って。韓国に留学?では、ジュリーさんはハングルも話せるの!?
J: それほどでもないです。簡単な日常会話くらい。英語での授業が多かったのと留学生仲間には日本の方も結構いたので、ハングルより日本語を使う頻度がとても多かった(笑)。ハングルを使うのは地元の商店街で買い物する時ぐらいで…
Q: いや、充分だと思います(笑)。地元で買い物って、ハードル高いですもの。
J: そうでしょうか(笑)。実は、韓国で暮らしている間も、頻繁に日本に遊びにきていました。妹が東京に住んでいるので。
Q: あら、妹さんも日本に? 
J: はい。東京でアパレル関係の仕事に就いています。なので、彼女の方が、私よりも日本での滞在歴が長いです。
Q: 姉妹そろって日本通!心強いですね。先ほど「うなぎ大好き」と仰ってましたが、日本の食生活には初めからすんなり溶け込めましたが?
J: はい、大丈夫でした。私、なんでもよく食べるほうで、豚骨ラーメンやホルモン大好き。苦手な食べ物は、うーん、そうですね、梅干しはちょっと酸っぱすぎるかな。あとは、あ、子供の頃からヒツジの肉が苦手です。幸い、日本ではあまりヒツジ食べませんよね(笑)。
Q: そうですね、ジンギスカンくらいかな?ヒツジを使った料理で私が思い浮かぶのは。
J:日本は食材も豊かですし、レストランとかの外食産業も手頃な値段で色々食べられて、食生活はとても充実していますよね。私、料理を作るのが好きなので、自炊生活を楽しんでいます。
Q:ルクセンブルクの味が恋しくはなりませんか?日本では食べられないルクセンブルクの料理、きっとあると思うのですが。
J:そうですね、ルクセンブルクの家庭料理、クニデレン(Kniddelen) は日本ではお目にかからないかな。これは、小麦粉、ミルク、卵をミックスして作るダンプリング、つまり茹でたお団子で、ハムやベーコンが入ります。各ご家庭がそれぞれ「我が家の味」を持っている本当にポピュラーなお料理なんですよ。私の実家では、メロンと一緒にデザート感覚で食べています。ちょっと変わった食べ方かもしれませんが。でも、食生活では全然困っていないので大丈夫です。
Q:食生活はOKとして(笑)、日本で困っている事はありませんか?
J:蒸し暑いことかな。湿度に弱いので、エアコンがないと日本の夏を乗り切れません。ルクセンブルクではエアコンの無いお家も多いのですけど。
Q:ほかには?
J:日本語は曖昧なところがありますよね。難しいなと思うのは、断らないというか、断りの言葉をはっきり言わないでしょう?はたしてYesなのかNoなのか理解しにくくて、ちょっと困ります。あと文章を読んでいて、主語が省略されていることが多いので、ん?と考えてしまう。
Q:なるほど。これだけ言葉が流暢なジュリーさんでも困りますか。まあ、日本人同士でも意思の疎通ができないことありますし。京都の「ぶぶ漬けでも」(京都の方、他意はありませんので悪しからずご了承ください)とか、お役所の「善処します」(公務員の方、他意はありませんので悪しからずご了承ください)とか(笑)。日本人は断ることが苦手かもしれません。
J:日本の人達は礼儀正しいですから、断るのは失礼だと思うのかもしれませんね。私、日本にきて、日本の人達は相手との物理的な距離をちゃんと取る人種だなと思いました。満員電車の中では無理ですけれど、ちゃんとスペースを取る・・・(以下、次号)

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待ち合わせ場所に自転車で颯爽と登場したジュリーさん。通学も買い物も、外出にも活用しているそう。アクティブな側面と、非常に落ち着いた、柔らかな物腰がとても魅力的です。次回は通算5年の日本の生活でジュリーさんが感じた日本の印象や日本人の特性についてもう少し詳しくお話を伺っていく予定です。どうぞお楽しみに!  (文責:事務局)