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ルクセンブルクの伝統 6月

6月 (ルクセンブルク語で“Broochmount”)

人々が毎年Wiltzで開催される“Geenzefest”(ゲニスタ・フェスティバル)に集う日が聖霊降臨節の月曜日ならば、ルクセンブルク東部の小さな市エヒテルナハ(Echternach)において有名な踊りの行事が開催されるのはその翌日の火曜日(5月または6月)です。伝統的な”Sprangprëssessioun”(踊りの行進)は、2010年からユネスコ無形文化財の代表リストに記載されています。

15世紀に始まり、宗教的起源を有する世界的に知られたこの行事には、毎年ヨーロッパ全土から何千という踊る巡礼者が参加します。彼らは、エヒテルナハのバシリカで聖ウィリブロードのお墓参りをします。聖ウィリブロードは、アイルランド系スコットランド人の修道士で、698年にエヒテルナハに派遣され、修道院を建設しました。この修道院は、数世紀もの間、この地方一帯における最も重要な文化的かつ精神的なよりどころとなりました。
“Sprangprëssessioun”(踊りの行進)に関する最初の証言書は1497年に遡り、その中で聖ウィリブロードへの崇敬や巡礼は、「踊る聖人の行進」と記されています。一方、8世紀、「エヒテルナハのバイオリン弾き」と呼ばれたバイオリン奏者Vitusが、妻とともに聖地巡礼の旅に出たという言い伝えもあります。Vitusの留守中、親戚たちは彼の財産を分け合いました。旅から戻ったVitusは、妻が巡礼中に死去したことから、殺人の罪に問われます。噂が十分であったため、死刑に処されることになりましたが、刑執行前、もう一度バイオリンを演奏したいと願い入れました。その演奏が始まると、人々は踊りをやめることが出来ず、遂には足が地面に突き刺さってしまいました。そうしているうちに、Vitusはその場を去り、聖ウィリブロードがその呪いを解かなければならなかったそうです。この言い伝えによって”Sprangprëssessioun”は真に人々を力づける認められた巡礼になりました。いくつかの話によれば、ドイツのアイフェル地方からの巡礼者たちは、厳しい天候下での長距離の踊りや行脚は、時折死に招くこともあることから、常に棺桶を持参したそうです。

巡礼者の踊り方について、いつも誤解や間違って解釈されることも興味深いことです。古代における行進は、現代のものほど整っていたはずはありませんが、ルクセンブルク人は小さなステップ(前へ3ステップ、後ろに2ステップ)の踊り方を引き継いでいます。この踊り方は、「とてもゆっくりと」の意味を持つ「エヒテルナハのペースで何かをする」というルクセンブルク語の表現にも通じています。しかし、”Sprangprëssessioun”は踊る行進というよりは、飛び跳ねる行進という方が正しいと思います。なぜなら参加者は、ハンカチの端を握りながら横5~6列に並び、左に2歩、右に2歩と飛び跳ねるからです。バイオリン合奏団だけではなく、ブラスバンドや吹奏楽団も伝統的な”Sprangprëssessioun”の曲を演奏します。

6月23日、ルクセンブルクでは花火や軍事パレードでナショナルデーを祝います。比較的歴史が浅いルクセンブルクのナショナルデーですが、当初は”Kinnéksdag”(オランダ国王の誕生日)の日をお祝いしていました。その後、シャルロット女大公(1919-1964)の統治下において6月23日に変更されました。1月23日生まれのシャルロット女大公の誕生日を祝うため、暖かい季節が望まれていたのです。1962年においても、ジャン大公やアンリ大公の即位後も、ルクセンブルクのナショナルデーはこの夏の日から変わることありませんでした。ナショナルデーは、ルクセンブルク人が彼ら自身を祝う日となりました。

この特別な日にはどのような祝典を見ることが出来るのでしょうか?記念日の前夜、ルクセンブルク市内の”大公宮殿前で行われる伝統的な衛兵の交代とともに祝典が始まります。その後、トーチを使ったパレードや、三つのドングリ公園に隣接する”Fort Thüngen”(ルクセンブルク•ジャン大公現代美術館の裏にある)から音楽に乗って打ち上げられる華やかな”Freedefeier”(花火)が続きます。ギヨーム広場では生演奏が披露され、市内や国中でもコンサートやストリートパーティー、レセプション、礼拝式が行われます。ルクセンブルクの各市が、小規模な花火から大コンサートまで、独自の催しでお祝いします。毎年、大公ファミリーのお一人がルクセンブルク南部にあるEsch/Alzette(エシュ=シュル=アルゼット)を訪問され、大公と大公妃は毎年違う都市をお訪ねになります。
6月23日の朝、ルクセンブルク・フィルハーモニーにて公式式典が開催されます。伝統的な軍事パレードはリベルテ通り通って、大公が軍隊を閲兵されます。午後には、”Te Deum”(“Te deum laudamus”「われら神であるあなたを讃えん」から始まる聖歌)を歌う厳粛な礼拝式がルクセンブルク市内のノートルダム大聖堂にて行われます。アルム広場’でも一日中生演奏が行われます。ルクセンブルクの各自治体も”Te Deum”を歌う礼拝式、各長による愛国心溢れるスピーチ、ミュージシャンや消防士への勲位の授与などを通して賑やかにお祝います。度々、地方では自治体議員や様々な団体に向けた「民主的な宴会」が開かれます。