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「人」コラム‐ルクセンブルクの横顔(13)

「人」コラム ‐ ルクセンブルクの横顔 
第13回: 岩垂欧太郎さん (Mr. Otaro Iwatare) ― 前編

ある国を語る時、歴史や文化、生活風習に加え、その国の人々は欠かせないファクターでしょう。人との交流は、国の印象にも大きく左右しますし、人を知ることで、その国への理解も一層深まります。このコラムは日本とルクセンブルク、双方につながりの深い方々を順次ご紹介していきます。
今回、登場いただくのは、ルクセンブルク生まれの大学4年生、岩垂欧太郎さん。この4月から外務省に入庁される岩垂さんに、ルクセンブルクの思い出や、日本とルクセンブルクの差異や類似点についてお話を伺いました。

事務局(以下、Q):こんにちは!まずは自己紹介をお願いします。
岩垂(以下、O):こんにちは。岩垂欧太郎です。24歳で東京大学法学部政治コースの4年生です。ルクセンブルクで生まれまして、8歳で帰国しました。
Q:ルクセンブルク生まれ?
O:はい。
Q:かなり、珍しいのでは? 岩垂さんの周りにルクセンブルク生まれの日本人って他にいらっしゃいました?
O:僕の知っている限り、ルクセンブルク生まれの日本人は僕だけでした。駐在員の子供としてルクセンブルクで育った人は他にもいますけれど。
Q:でしょうね。お名前の「欧」の字もそこから?
O:そうかもしれませんね。苗字も名前も、ちょっと変わっている(笑)ので、話のネタにされることが結構あります。
Q:ああ、わかります。私もかなり珍しい苗字だから(笑)。では、ルクセンブルクの国籍を取得する選択肢もあった?
O:いいえ。ルクセンブルクは出生地主義ではなく、血統主義なので。
Q:あ、日本と一緒なんですね。
O:はい。ですが、社会保障はとても手厚くて、僕にも子供手当が出ていました。ルクセンブルクは子育て世帯には優しい国だと思います。
Q:そうなのですか。どこの家庭にとっても子供手当は嬉しいと思います(笑)。ルクセンブルクで生まれて、8歳までルクセンブルクで過ごした岩垂さんは、やはりマルチリンガルなのですか?
O:ルクセンブルクに住んでいた時は、家では日本語で、学校はインターナショナルスクールで英語での授業でした。そういう意味では、ルクセンブルクで多言語を学んだという環境ではなかったです。大学に入ってから、フランス語と、それからロシア語をメインで学びましたけれども。
Q: ロシア語?
O:はい。ロシアは経済や政治の体制が欧米や日本のシステムとは全く違う国なので興味を持ちまして。サンクトペテルブルクに半年間留学しました。
Q:大学在学中?
O:そうです。国際関係を学びました。
Q:なるほど。フランス語は?やはり、法律専攻だから?
O:はい。あと、哲学を学ぶ上でも役立つ言語だと思います。
Q:そうですね、フランス語は非常に論理的な言語と言われていますのもの。
O:ルクセンブルクに住んでいた頃は子供だったので、あまり意識してはいなかったのですが、この間、10数年ぶりにルクセンブルクに行ってきました。そうしたら標識とか多言語でしょう。ああ、マルチリンガルな国だな、と改めて認識しました。
Q:そうか、生まれ育った場所のなりわいは当然のものとして受け入れますものね。違いを感じるには比較の対象物が必要ですよね。では、子供時代の岩垂さんの印象に残ったルクセンブルクと言えば何でしょう?
O:そうですね。まずは風景かな。緑が多くて、のんびりした田園風景。市内から10分位のドライブで牛がのんびり草を食んでいる。夏は夜10時過ぎても空が明るくて。車窓から見た星空とか、良く覚えています。この間のルクセンブルク再訪でも、子供の頃に見た風景がフラッシュバックしました。
Q:ああ、原風景がルクセンブルクの自然なのですね。
O:ええ、懐かしい風景。でも、あれ?こんなに小さかったっけ?とも思いました(笑)。
Q:子供の頃は自分のサイズが小さいから(笑)。私も田舎の神社を大人になって再訪したら、とっても長くて急な階段とインプットされていた記憶が、あれ?って、事ありました(笑)。その他には何か思い出ありますか?
O:クリスマス・マーケット。それから、お肉屋さんのソーセージですかね。母にくっついてお肉屋さんに行くと、お店の方が、必ずオマケで子供の僕にソーセージをくれたのです。本当に美味しかった。パリッとした歯ごたえで、食感が良くって、太くって。何という名前なのか、残念ながら分からないのですが。
Q:チューリンガーかな?何だろう?どんなソーセージなのか、知りたいです!
O:すみません、何分子供だったので。美味しかった、という記憶だけしかないのです。
Q:そうですよね、子供は名前には頓着しないものですよ(笑)。話は飛びますが、インターナショナルスクールに入学されて、お昼は?給食があったのですか?
O:給食ではなくて、カフェテリアがありました。お弁当を持っていくのもオーケーなので、僕は半々でした。カフェテリアは朝、食券を買って、というシステムです。
Q:メニューは?ルクセンブルクのお料理が出たのですか?
O:うーん、どうでしょうか。僕の記憶では、ルクセンブルク、というより一般的な洋食。チキンのマッシュポテト添えにチョコムースとか。
Q:やっぱり、ちゃんとデザートが付いている!
O:あ、そう言われてみると、そうですね。
C:ルクセンブルク時代の食べ物とかお菓子で、お肉屋さんのソーセージ以外に(笑)印象に残っているものありますか?
O:はい、あります。おやつで印象に残っているのは、お米のクラッカーやハリボーのグミ。それから、大好物だった底にジャムが入っているヨーグルト。
Q:ジャムいりのヨーグルトですか?パックの底にジャムがある?
O:そうです。ジャムは色々種類があって。本当、美味しくで、大好きでした。実は、つい先日、日本のスーバーで見つけまして、もう大喜びで買いました。
Q:それは朗報ですね(笑)。日本で手に入る食材は本当に豊かになりましたね。ハリボーのグミももう定番でしょう?私が子供の頃はとても珍しい外国土産で・・・少なくとも、私の田舎のスーパーにはなかった(笑)。初めて食べた時、何だ、これはと、思いました。物凄く「ねちょねちょ」していて。
O:味もかなり強いし(笑)。で、ジャム入りのヨーグルト、嬉しかったのですが、ジャムの量が少なくて、ちょっと物足りないというか、残念というか。
Q:あら、そんなに違った?
O:ルクセンブルク時代によく食べていたのは、ジャムが1センチくらいあったはずなのですが、日本で見つけたのは、たぶん、ジャムの量は半分以下だと思います。もう少しジャムが欲しいです(笑)。
Q:それは重要なポイントですよね(笑)。その他に、今、振り返ってみて、ルクセンブルクと日本の違いを意識されたことはありますか?
O:僕、子供の頃はサッカーに熱中していまして、人工芝の新しいグランドでボールを蹴ることが大好きでした。日本の学校環境とは違うのではないでしょうか。
Q:人工芝!それは凄い。日本に帰ってから、色々な面で戸惑ったことあると思うのですが、その辺をちょっと教えていただけますか?(以下、次号)

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待ち合わせ場所にスーツ姿で登場してくれた岩垂さん。折り目正しい好青年で、落ち着いた物腰と論理的な話し方に、さすが将来の外交官!と感服しました。次回は岩垂さんが日本に帰ってきてからのカルチャーショック、日本とルクセンブルクの差異と近似点、今後の抱負についてお話を伺いたいと思います。  (文責:事務局)