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人物で見る歴史4 ガブリエル・リップマン

前回に続いて、ルクセンブルク生まれの偉人を取り上げてみます。ルクセンブルクで歴史的に有名な科学者は2人いますが、今回は、そのうちの一人でノーベル賞をルクセンブルク出身者として初めて受賞したガブリエル・リップマンを紹介します。今年は丁度生誕175周年に当たり、記念切手がルクセンブルク郵便局から3月に発売されています。

リップマンは、1845年8月16日にルクセンブルクのホレリッヒ(現在ルクセンブルク市ボンネヴォワ)で、ユダヤ系フランス人の両親から生まれました。その後、家族はパリに引っ越し、自宅で初期の教育を受け、1858年にリセナポレオンに入り、10年後、エコールノルマルに入学しました。しかし興味のある科目しか勉強しなかったため教員試験に受からず、1873年、フランス政府から科学教育の技法についてドイツで学ぶことを指示され、ドイツのハイデルベルクやベルリンで学びました。1878年にパリの理学部に入学し、1883年には数学物理学の教授に任命されました。 3年後、実験物理学の教授になり、研究所の所長に任命され、その後ソルボンヌ大学に異動し、死ぬまでこの地位を維持しました。

リップマンの業績は、ウィキペディアに簡潔にまとめられていますので、引用します。
「1891年にリップマン式天然色写真(リップマンのカラー写真)を発明した。これは光の干渉によって光の色を再現させるものである。現在利用されている赤・緑・青の視覚に基づいた光の三原色ごとに記録する一般的なカラー写真とは異なり、物理学的に一定の周波数帯域全体の光を記録することができる。しかし、像が鮮明にできないことや、高価なことからこの方式のカラー写真が普及することはなかった。普及こそしなかったもののカラー写真としては初めての試みであったため、1908年にノーベル物理学賞を受賞した。
リップマンはまた、フランス光学研究所の創設に尽力した。他にも初期の心電図計測装置に使われたリップマン電位計を発明した。また、1908年には integral imaging と名付けた立体画像の仕組みを考案した。 」

1888年にリップマンは、フランスのアカデミーのメンバーである作家V.シェルブリエの娘と結婚し、ファイヨル元帥が率いる使節団の一員として北米への旅からの帰国途上1921年7月13日、船上で死亡しました。

ところで、ルクセンブルクでは、もう一人ノーベル賞を受賞した人がいます。 2011年にノーベル生理学・医学賞を受賞したジュール・ホフマンです。RTLの2019年の記事によりますと、ルクセンブルクは人口当たりのノーベル賞受賞者数が、世界3位とのことです。住民28万3555人につき1人の受賞者です。

生家

リップマンの画像は、ルクセンブルク市発行のons stad Nr 113 2016から掲載しました。